それからしばらくの間、マリアはアルファの屋敷で匿われる形となった。ローゼスへの謁見の件こそ表に出ていないが、箱舟教団から彼女が姿を消した事実は上層部に知れ渡っていた。それでも教団は予言者の存在を明かすことはできず、“魔王”の血を引く悪魔だと人相書きをばらまき、彼女を探させていた。それは皇帝ローゼスにとっては都合の良い話だった。
「大洪水が来るなどという馬鹿馬鹿しい話に加えて、虚偽の魔王の子孫などと戯言を触れ回り、臣民を混乱に陥れている。早急に排除せよ」
ローゼスはそう兵に命じ、教団の排除に乗り出した。教団が排除されるのが先か、伝説の中の魔王と同じ瞳の色をした少女を誰かが見つけて騒ぎ出すのが先か、そんな状況の中、アルファは暇そうにしていた。
「暇そうだね」
同じ部屋で本を読んでいたマリアがそう声をかけてくる。
「お前を監視しないといけないからな」
今回“皇帝の犬”たるアルファが出てこないことに、臣民も教団も疑いの目を向けていた。だから表に出たいのだが、マリアの監視を他人に任せるのは躊躇われた。魔王の子孫という戯言や大洪水が来るという話を信じている者は兵の中にもいる。代わりは簡単には立てられない。そんな状況だった。
アルファにとって今信頼できるのはローゼスと、メイドのアリスだけだった。どちらも魔王の子孫や洪水などという話ではなく、自分の見たものを信じる人間だった。その点は信頼できる。「なら尋問をしたら? そのつもりでぼくもここにいるんだけど」
「なにを聞いてもふわっとしか答えないではないか」
「だって、なんでこんな力があるかも、出自もぼくにはわからないんだもの。でも予言はたくさんしてあげただろう?」
確かにこの家に来てからマリアは多くの予言を行った。大きなものから小さなものまで、すべて的中させている。
「ならお前は未来をどう“視る”? お前には未来を確定させる力があるのか?」
「なんども言っているだろう? そんな力はない。ぼくにできるのは“視る”だけだ。それとせっかく名付けてくれたんだ、マリアと……」
少女の要望を無視しながら、アルファは考える。未来を確定する力はない、いつでも未来を視ているわけでもない。ならば……。
「なんでそんなに余裕なんだ? 自分がひどい目に合わない未来が視えているのではないのか?」
「違うよ。ぼくはぼくの聖騎士(ナイト)様を信じているだけさ」
「はあ……」
これである。二言目にはこう言ってけむに巻こうとしてくる。確かにこのままアルファとローゼスの保護下にいれば、教団に連れ戻される可能性は低い。アルファもローゼスも年端もいかない少女に手荒い真似をするつもりもなかった。だが、民衆の魔王の血族という言葉への不安の表れはすごかった。帝国にいることが見つかれば、処刑されかねない勢いだった。いかにローゼスが嘘だと言っても、民衆は納得しない。そうなればローゼスも処刑せざるをえないだろう。民意に逆らってまでマリアを守る義理は、ローゼスにもアルファにもないからだ。それにも関わらず彼女が安心しきっていることが、アルファには謎だった。
「そうため息を吐くな。そうだ、君の過去がいい。ぜひ聴かせてくれ」
「……それは何度も話しただろう?」
「だが、毎回本では得られない君の話が聴けてぼくはうれしいんだ。頼むよ」
マリアは本を置くと、アルファにねだるような笑みを向けた。彼はこの笑みに弱いことを、アルファもマリアもここ数日のやり取りで理解していた。
「あれは砂漠のオアシスでのことだ……」
今のマリアより幼い年頃のアルファは、ある日オアシスで目を覚ました。自分が何者なのかも、なぜここにいるのかもわからなかった。しばらくぼんやりとしていると、不意に空から白い翼の生えた女性が降りて来た。その右手には白いカーネーションが握らている。それを天使と呼ぶのだとその時彼は知らなかった。
『こんなところに放置するなんて、ルシフェルも何を考えているんだか』
1人つぶやく天使を、アルファは茫然と見つめていた。
『あら、ごめんなさい。まずはあなたを導かないとね。あなたの名はアルファ』
『アルファ』
『そう。そしてここをまっすぐ行きなさい。そこにあなたの運命が待っているわ』
「そして今の陛下――当時の皇太子殿下を暗殺から救った褒美に陛下の騎士に取り立ててもらったというわけだ。ってどうした?」
適当に話し終えてマリアを見ると、顎に手を当てて何事か考えている様子だった。
「……その天使は、ルシフェルとつぶやいたんだね? ほんとうに? 前回はそんなこと言っていなかったけど」
「ん、ああ。思い出したから一応な。なにか気になるのか」
「君はこの国の伝説を知らないのか? ルシフェルは魔王の相棒だった天使だよ」
「そうだったか……?」
「まあ、一般にはあまり知られていないから君が知らないのも無理もないか」
「ルシフェル……魔王の相棒、ね。なんでお前はそんなことを知ってるんだ?」
「それ、は……本、本で読んだんだ」
「ふぅん」
この時は読書家だなあくらいにしか思っていなかったが、アルファは考えるべきだったのかもしれない。なぜろくな教育を受けていない彼女がそれほど本を読めるのか、一般に知られていない伝説まで知っているのはなぜか、そこまで突き詰めて考えていれば、あんなことにはならなかったかもしれない。
第57番世界、通称エデン――始まりの者が57番目に訪れた楽園という伝説からそう呼ばれている――。 そこには豊かな土地と鉱物資源、そして強大な兵力で他国に差をつける大帝国――ローズ帝国――があった。その帝国を支配する皇帝の名をローゼス、その右腕となる騎士の名をアルファという。 ローゼスは金髪碧眼の青年で、まだ皇太子と呼べるほどに若い、ギリギリ20歳に見えるような見た目だった。目鼻立ちのすっきりとした美男子で、長い手足を少し邪魔くさそうにしている。その服装は白を基調に金糸をあしらった豪華なつくりだった。 対してアルファは髪も目も黒曜石のように黒く、服は黒地に銀糸をあしらった騎士礼装で、彼も同じ年くらいの若々しさだった「のう、我が騎士よ」「なんでしょう、皇帝陛下」 玉座に腰かけ、ニヤニヤとだらしなく笑うローゼスに対して、その斜め後ろに立つアルファは堅苦しい態度で応える。それが気に入らなかったらしく、ローゼスは声を荒げる。「その態度はやめいと言っておるだろうが!」「あなた様は皇帝になられたのです。一臣下がへりくだることの何が気に入りませんか」「お前は余の側近中の側近。しかも今は2人きりだ。……それに余が皇帝の座につけたのはお前のおかげだろう」「……だからといって僕が偉いわけではありませんよ。陛下」 多くの国を支配する皇帝の位に立つローゼスにとって、着飾ることなく話せる相手は少ない。 その口から1つ言葉が発せられれば、それは帝国の意志として世界中を走り回る。 そのこともきちんと理解しているローゼスだからこそ、何も着飾らなくてもよい“ローゼス”という個人でいられる存在は非常に貴重だ。だからこそアルファにも着飾らないで欲しいのだが、そうはいかない。アルファから見たローゼスは個人であると同時に皇帝であり、その身分の差を弁えないといけないことはわかりきっているのだ。「……まあよい。それより、街でおもしろそうな話を聞いたのだ」「街って、またお忍びで出かけられたのですか⁉ お願いですからせめて僕を護衛にと……!」「ええい、うるさいうるさい! それよりも余の話を聞け!」 こうなったローゼスは自分の言葉を通すまで声を上げ続ける。着飾らなくていい相手だからこそ、そのようなことが許される。それを考えれば、今は自分が聞くしかない、とアルファは諦めた。「はあ、
「この小娘を陛下の御前に出せるようなんとかしてくれ」「はい、閣下!」 アルファ付きのメイドであるアリスは、クリーム色の三つ編みを揺らしながら、銀髪の少女を宮殿にあるアルファの私室に備え付けられているシャワー室へとつれていった。「はあ……」 騎士としての礼装に着替えたアルファはため息をついた。 そして昨夜のことを思い出していく。すると少しの頭痛を覚えた。◆◆◆『な、なにをする!』 突然キスをしてきた少女を突き放す。変な力が入ったのだろう、認識疎外のためのキセルがポケットから落ちた。『ああ、ようやく顔を見せてくれたね。“視ていた”とおりの顔だ。ぼくはすきだぞ。君の顔』『何を言って……ちっ』 キセルを慌てて拾い上げたが間に合わなかったらしい。誰かが牢屋に近づく足音が聞こえた。ふわりと少女は抱き着いてきた。『おい……!』『さあ、連れて行ってくれ。見たいんだ。再び外の世界を……』 アルファは舌打ちをすると、少女を抱えて教団から脱出してしまった。そう、してしまったのだ。してしまったからには最良の手を打とうと、いざというときの隠れ家に向かおうとしたのだが……。『そっちじゃない。宮殿にむかえ。ぼくは皇帝と会うことになる』『……陛下だ』 少女のローゼスに対する呼び方に不敬だと感じながらも、確かにあのローゼスの性格からして、自分と予言者が一夜にして消えたらおもしろがって隠れ家まで来てしまいそうだとアルファは思った。 ならば少女の言うとおり、早めに会わせてしまおう。アルファはそう決めた。宮殿なら守りは厚いし、見たところ少女には未来を視る以外の力は無さそうだ。自分が殺される未来を変えるだけの力がなければ未来予知に意味はない、もしものときは自分が切る。そう決意した上での判断だった。 とはいえボロ雑巾同然のままローゼスの前に引き出すのは気が引ける。仕方なくこっそり宮殿に用意されているアルファ用の部屋に連れ帰り、自分付の唯一のメイドにあとを任せた次第だった。 ため息が出そうになるのをこらえると、朝の陽ざし差し込む庭を窓から眺める。ローゼスの名前から各地から献上されることになった色とりどりのバラが庭を埋め尽くしていた。◆◆◆「閣下」 その呼び方に、アリスかと思い振り返ったそこには、見違えた姿のあの少女がいた。「このような、わたくしにはもったいないド
「なに、このアルファがかね」 皇帝ローゼスは目を瞬かせる。「はい、彼はあなたの死を阻止するために箱舟を作るのです。陛下」「まだ僕はお前の予言を信じたわけでは……」 少女はにこりと笑う、どこか寒気のする笑みだった。「では信じさせてみせましょう。今からわたくしが3つ数えたら、賊がこの部屋に侵入します」「だから……」「1つ」 そこでアルファは気配を感じ取った。誰かがこの謁見の間に走ってくる。「2つ」 謁見の間の扉の方からくぐもった声が聞こえてくる。門番がやられたか? そう判断してすぐにアルファは扉にむかってかけた。腰に差した剣を鞘から引き抜く。瞬間扉が乱暴に開かれ、2人の武装した男が入ってきた。「3つ」「ローゼス! お前の首を……」「遅い!」 男たちが言い終わらぬうちに1人目を切り倒し、勢いを殺さず2人目を逆袈裟に切った。命は奪わない。聞き出さなければならないことはたくさんある。「近衛兵!」 アルファが呼ぶと次の間から出てきた6人の兵――まるでおもちゃの兵隊のように真っ赤な上着と帽子をかぶっている――が男たちを縛り上げ、連行していく。「お見事です。聖騎士(ナイト)様」「おまえ……」「フハハハハハ、良い余興だったぞ。その眼の力、余のために使うがよい」 ローゼスは高々と笑いそう命じ、少女――マリアもそれをひれ伏して受けた。「まだ予言の力が本物かわからないではないですか」、そう言おうとしたアルファをローゼスは目線で制した。その眼は語っていた「見極めよ」と。アルファはため息を吐きたくなった。「マリア、そなたにも護衛がいるだろう。しばらくはアルファと共にいるとよい。その男なら教団が手を出してきても相手にならんだろう。……下がってよし」◆◆◆ アリスが用意している馬車に向かう道を歩きながら、アルファはマリアに尋ねた。「お前は未来をその眼で“視る”のか」「ああ、さっき皇帝がそんなことも言っていたね」「こら……」「不敬だぞ、かい? それも視えているよ」「はあ……。その眼は」「生まれつきさ。“魔王”のようで気味が悪いとあちこちたらい回しにされた。でもぼくにはわかっていた。ぼくを助けてくれる聖騎士様が現れると!」 芝居がかった態度をとるマリアを軽くにらみつつも、アルファは馬車に乗り込んだ。マリアも当然とばかりに乗り込んでくる。アリ
それからしばらくの間、マリアはアルファの屋敷で匿われる形となった。ローゼスへの謁見の件こそ表に出ていないが、箱舟教団から彼女が姿を消した事実は上層部に知れ渡っていた。それでも教団は予言者の存在を明かすことはできず、“魔王”の血を引く悪魔だと人相書きをばらまき、彼女を探させていた。それは皇帝ローゼスにとっては都合の良い話だった。「大洪水が来るなどという馬鹿馬鹿しい話に加えて、虚偽の魔王の子孫などと戯言を触れ回り、臣民を混乱に陥れている。早急に排除せよ」 ローゼスはそう兵に命じ、教団の排除に乗り出した。教団が排除されるのが先か、伝説の中の魔王と同じ瞳の色をした少女を誰かが見つけて騒ぎ出すのが先か、そんな状況の中、アルファは暇そうにしていた。「暇そうだね」 同じ部屋で本を読んでいたマリアがそう声をかけてくる。「お前を監視しないといけないからな」 今回“皇帝の犬”たるアルファが出てこないことに、臣民も教団も疑いの目を向けていた。だから表に出たいのだが、マリアの監視を他人に任せるのは躊躇われた。魔王の子孫という戯言や大洪水が来るという話を信じている者は兵の中にもいる。代わりは簡単には立てられない。そんな状況だった。 アルファにとって今信頼できるのはローゼスと、メイドのアリスだけだった。どちらも魔王の子孫や洪水などという話ではなく、自分の見たものを信じる人間だった。その点は信頼できる。「なら尋問をしたら? そのつもりでぼくもここにいるんだけど」「なにを聞いてもふわっとしか答えないではないか」「だって、なんでこんな力があるかも、出自もぼくにはわからないんだもの。でも予言はたくさんしてあげただろう?」 確かにこの家に来てからマリアは多くの予言を行った。大きなものから小さなものまで、すべて的中させている。「ならお前は未来をどう“視る”? お前には未来を確定させる力があるのか?」「なんども言っているだろう? そんな力はない。ぼくにできるのは“視る”だけだ。それとせっかく名付けてくれたんだ、マリアと……」 少女の要望を無視しながら、アルファは考える。未来を確定する力はない、いつでも未来を視ているわけでもない。ならば……。「なんでそんなに余裕なんだ? 自分がひどい目に合わない未来が視えているのではないのか?」「違うよ。ぼくはぼくの聖騎士(ナイト)様を信じ
「なに、このアルファがかね」 皇帝ローゼスは目を瞬かせる。「はい、彼はあなたの死を阻止するために箱舟を作るのです。陛下」「まだ僕はお前の予言を信じたわけでは……」 少女はにこりと笑う、どこか寒気のする笑みだった。「では信じさせてみせましょう。今からわたくしが3つ数えたら、賊がこの部屋に侵入します」「だから……」「1つ」 そこでアルファは気配を感じ取った。誰かがこの謁見の間に走ってくる。「2つ」 謁見の間の扉の方からくぐもった声が聞こえてくる。門番がやられたか? そう判断してすぐにアルファは扉にむかってかけた。腰に差した剣を鞘から引き抜く。瞬間扉が乱暴に開かれ、2人の武装した男が入ってきた。「3つ」「ローゼス! お前の首を……」「遅い!」 男たちが言い終わらぬうちに1人目を切り倒し、勢いを殺さず2人目を逆袈裟に切った。命は奪わない。聞き出さなければならないことはたくさんある。「近衛兵!」 アルファが呼ぶと次の間から出てきた6人の兵――まるでおもちゃの兵隊のように真っ赤な上着と帽子をかぶっている――が男たちを縛り上げ、連行していく。「お見事です。聖騎士(ナイト)様」「おまえ……」「フハハハハハ、良い余興だったぞ。その眼の力、余のために使うがよい」 ローゼスは高々と笑いそう命じ、少女――マリアもそれをひれ伏して受けた。「まだ予言の力が本物かわからないではないですか」、そう言おうとしたアルファをローゼスは目線で制した。その眼は語っていた「見極めよ」と。アルファはため息を吐きたくなった。「マリア、そなたにも護衛がいるだろう。しばらくはアルファと共にいるとよい。その男なら教団が手を出してきても相手にならんだろう。……下がってよし」◆◆◆ アリスが用意している馬車に向かう道を歩きながら、アルファはマリアに尋ねた。「お前は未来をその眼で“視る”のか」「ああ、さっき皇帝がそんなことも言っていたね」「こら……」「不敬だぞ、かい? それも視えているよ」「はあ……。その眼は」「生まれつきさ。“魔王”のようで気味が悪いとあちこちたらい回しにされた。でもぼくにはわかっていた。ぼくを助けてくれる聖騎士様が現れると!」 芝居がかった態度をとるマリアを軽くにらみつつも、アルファは馬車に乗り込んだ。マリアも当然とばかりに乗り込んでくる。アリ
「この小娘を陛下の御前に出せるようなんとかしてくれ」「はい、閣下!」 アルファ付きのメイドであるアリスは、クリーム色の三つ編みを揺らしながら、銀髪の少女を宮殿にあるアルファの私室に備え付けられているシャワー室へとつれていった。「はあ……」 騎士としての礼装に着替えたアルファはため息をついた。 そして昨夜のことを思い出していく。すると少しの頭痛を覚えた。◆◆◆『な、なにをする!』 突然キスをしてきた少女を突き放す。変な力が入ったのだろう、認識疎外のためのキセルがポケットから落ちた。『ああ、ようやく顔を見せてくれたね。“視ていた”とおりの顔だ。ぼくはすきだぞ。君の顔』『何を言って……ちっ』 キセルを慌てて拾い上げたが間に合わなかったらしい。誰かが牢屋に近づく足音が聞こえた。ふわりと少女は抱き着いてきた。『おい……!』『さあ、連れて行ってくれ。見たいんだ。再び外の世界を……』 アルファは舌打ちをすると、少女を抱えて教団から脱出してしまった。そう、してしまったのだ。してしまったからには最良の手を打とうと、いざというときの隠れ家に向かおうとしたのだが……。『そっちじゃない。宮殿にむかえ。ぼくは皇帝と会うことになる』『……陛下だ』 少女のローゼスに対する呼び方に不敬だと感じながらも、確かにあのローゼスの性格からして、自分と予言者が一夜にして消えたらおもしろがって隠れ家まで来てしまいそうだとアルファは思った。 ならば少女の言うとおり、早めに会わせてしまおう。アルファはそう決めた。宮殿なら守りは厚いし、見たところ少女には未来を視る以外の力は無さそうだ。自分が殺される未来を変えるだけの力がなければ未来予知に意味はない、もしものときは自分が切る。そう決意した上での判断だった。 とはいえボロ雑巾同然のままローゼスの前に引き出すのは気が引ける。仕方なくこっそり宮殿に用意されているアルファ用の部屋に連れ帰り、自分付の唯一のメイドにあとを任せた次第だった。 ため息が出そうになるのをこらえると、朝の陽ざし差し込む庭を窓から眺める。ローゼスの名前から各地から献上されることになった色とりどりのバラが庭を埋め尽くしていた。◆◆◆「閣下」 その呼び方に、アリスかと思い振り返ったそこには、見違えた姿のあの少女がいた。「このような、わたくしにはもったいないド
第57番世界、通称エデン――始まりの者が57番目に訪れた楽園という伝説からそう呼ばれている――。 そこには豊かな土地と鉱物資源、そして強大な兵力で他国に差をつける大帝国――ローズ帝国――があった。その帝国を支配する皇帝の名をローゼス、その右腕となる騎士の名をアルファという。 ローゼスは金髪碧眼の青年で、まだ皇太子と呼べるほどに若い、ギリギリ20歳に見えるような見た目だった。目鼻立ちのすっきりとした美男子で、長い手足を少し邪魔くさそうにしている。その服装は白を基調に金糸をあしらった豪華なつくりだった。 対してアルファは髪も目も黒曜石のように黒く、服は黒地に銀糸をあしらった騎士礼装で、彼も同じ年くらいの若々しさだった「のう、我が騎士よ」「なんでしょう、皇帝陛下」 玉座に腰かけ、ニヤニヤとだらしなく笑うローゼスに対して、その斜め後ろに立つアルファは堅苦しい態度で応える。それが気に入らなかったらしく、ローゼスは声を荒げる。「その態度はやめいと言っておるだろうが!」「あなた様は皇帝になられたのです。一臣下がへりくだることの何が気に入りませんか」「お前は余の側近中の側近。しかも今は2人きりだ。……それに余が皇帝の座につけたのはお前のおかげだろう」「……だからといって僕が偉いわけではありませんよ。陛下」 多くの国を支配する皇帝の位に立つローゼスにとって、着飾ることなく話せる相手は少ない。 その口から1つ言葉が発せられれば、それは帝国の意志として世界中を走り回る。 そのこともきちんと理解しているローゼスだからこそ、何も着飾らなくてもよい“ローゼス”という個人でいられる存在は非常に貴重だ。だからこそアルファにも着飾らないで欲しいのだが、そうはいかない。アルファから見たローゼスは個人であると同時に皇帝であり、その身分の差を弁えないといけないことはわかりきっているのだ。「……まあよい。それより、街でおもしろそうな話を聞いたのだ」「街って、またお忍びで出かけられたのですか⁉ お願いですからせめて僕を護衛にと……!」「ええい、うるさいうるさい! それよりも余の話を聞け!」 こうなったローゼスは自分の言葉を通すまで声を上げ続ける。着飾らなくていい相手だからこそ、そのようなことが許される。それを考えれば、今は自分が聞くしかない、とアルファは諦めた。「はあ、